パリから地中海へ:ナポレオンの足跡をたどる旅

この冬の大注目のリドリー・スコット監督作品『ナポレオン』。
軍人ナポレオンの目覚ましい活躍、皇帝の戴冠式、最初の妻ジョゼフィーヌとの恋愛、勇壮な戦い…荘厳な映像は、観る者をフランス史上最もロマンチックな英雄、ナポレオンの世界へといざないます。
生まれ故郷コルシカ島から、帝政が終焉を迎えたフォンテーヌブロー城まで、ナポレオンの歴史が刻まれたフランスの地を旅してみましょう。

コルシカ島アジャクシオ:生い立ち

「コルシカに対する私の感情は特別だ。それは他に類を見ない存在であり、また私の家族である。」
ナポレオン・ボナパルトは、この美しい島に並々ならぬ情熱を持っていました。
コルシカ島がフランスの一部となった翌年、1769年にアジャクシオで生まれたナポレオンの記憶は町のいたるところに息づいていて、城塞の周りには多くの記念碑が立っています。

サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂は、後の皇帝が1771年に洗礼を受けた場所です。
彼が生まれた家は現在博物館となっていて、1799年10月にエジプトから帰国した際に使用したとされる部屋が残っています。
市庁舎には、ナポレオン時代のサロンや領事館と帝国の歴史をたどるコインやメダルのコレクションが、フェッシュ美術館には皇室の礼拝堂があり、皇族の肖像画の最大のギャラリーを鑑賞できます。
最も感動的なのは間違いなくナポレオンの洞窟 la grotte Napoléon で、少年ナポレオンはここに来て夢を見るのが好きだったと言われています。

トゥーロン:プロヴァンスと地中海を結ぶ兵士の奉献

共和国軍がイギリス・スペイン艦隊に勝利した1793年の包囲戦の証人となっています。
その指揮を執ったのは、電光石火のスピードで出世した軍人・ナポレオン。一介の砲兵大尉だった彼は、最後の戦いの終わりに大将に昇進したのでした。
トゥーロンは当時、フランスの主要な軍港でした。そして、1798年のエジプト遠征、ナポレオンが率いた最も大胆な冒険の出発点でもありました。
この輝かしい過去の足跡をたどりながら、港をボートや徒歩で探索することができます。
地中海沿岸に位置するバラギエ要塞は、当時の主要な防衛施設のひとつで、現在は郷土史博物館となっています。素晴らしい旅の出発点は、植物園から始まり、コルニッシュミシェル・パシャへと続き、そして19世紀後半に建てられた豪華なオリエンタル・スタイルのヴィラへと至ります。
ナポレオン砦は、トゥーロン包囲戦で使われたマルグレーブ堡塁の後継として、ケールの丘に築かれた要塞です。夏には、かつての大砲の轟音から離れた中庭でコンサートが催されます。

トゥーロン観光局 (外部リンク)

サン・クルー公園:クーデターの記憶

ナポレオン時代のサン・クルー城は、1870年の戦争で破壊され、現在は一切残っていません。しかし、このパリ近郊の土地の歴史は、森の向こうに隠れているすべてのものから読み取ることができます。
公園の一部には、大理石に象嵌された大きな地図があり、1811年当時の宮殿とその周辺施設の配置が示されています。その中には、ナポレオンが ブリュメール18日のクーデター(1799年11月10日)で第一執政官として権力を握ったオランジェリーや、1804年にフランス皇帝として正式に宣言されたアポロンの回廊などが含まれています。
城の正門には、歴史を紹介する博物館があります。歴史的建造物に指定され、「傑出した庭園 Jardin remarquable」のラベルを授与された460ヘクタールの敷地にある池や水場、木立は、4世紀にわたる庭園デザイン、特にフランス庭園の芸術を物語っています。

マルメゾン城:家族のようなくつろぎの中で

パリからすぐ近くにあるマルメゾン城は、ナポレオンが幸せに過ごした日々を象徴しています。
チュイルリー宮殿とともに、1800年から1802年まで政府の本拠地でありながら、皇室の邸宅の中でナポレオンにとって最も親しみのある場所でもありました。
1809年の離婚後、この領地を受け継いだジョゼフィーヌは、当時の最も有名な植物学者たちによって整備された庭園などの敷地で、最期まで過ごしました。
日常生活には政治的な会合や舞踏会、演劇などが取り入れられ、それらは古代とルネッサンスからのインスピレーションを得た豪華に飾られた部屋に表れていました。
ナポレオンが仕事をしたマホガニーの書棚や、1814年に亡くなったジョゼフィーヌの赤い布と金の刺繍で飾られた楕円形の寝室などもありますが、最も感動的なのは、退位した皇帝がセントヘレナ島で過ごした最期の6年間を展示した最上階です。

マルメゾン城 (外部リンク)  

チュイルリー:追憶の庭園

1802年に皇帝の公邸となり、その後ローマ国王が生まれた場所であるチュイルリー宮殿は、1871年のパリ・コミューンの際に焼失しました。しかし、歴史的建造物として指定されているこの見事なフランス式公園の庭園には、帝政時代の記憶が色濃く残っています。
ナポレオン1世がアウステルリッツでの大軍の勝利を祝して建てられたカルーゼル凱旋門と4頭の馬の像は、今もルーブル美術館のピラミッドの向かいにあり、改装された花の展示室 les pavillons de Floreとマルサン翼 le pavillon de Marsan はルーヴル美術館の一部となっています。

パリのノートルダム大聖堂:ナポレオン1世の戴冠式

1804年12月2日、皇帝はパリのノートルダム大聖堂の身廊で盛大な式典を行い、帝冠を戴冠しました。
フランス革命での荒廃後、「理性の神殿」と名を改められたり、その後ワイン倉庫となったりしましたが、19世紀後半になって、ヴィオレ・ル・デュックの指揮の下、大規模な改修が行われました。
ノートルダム大聖堂は、火災に見舞われてから5年半後の2024年12月8日に再オープンします。ゴシック様式の丸天井の下での戴冠式の素晴らしさを想像するには、辛抱強くその時を待ちましょう。
その間、ルーヴル美術館では2024年1月29日まで「ノートルダムの至宝」の貴重なコレクションを展示し、通常は聖具室に展示されている、火災を免れた120点以上の作品(司祭の法衣、聖遺物、写本、フランス銀器の傑作)を鑑賞することができます。
同じく、1804年に金細工職人マルタン・ギヨーム・ビエンヌによって制作された「シャルルマーニュの王冠」として知られる戴冠式用の有名な王冠も展示されています。40個のカメオとエングレービングが施された素晴らしい作品です。

フォンテーヌブロー城:帝国の栄華と衰退

パリ近郊のフォンテーヌブロー城は、12世紀から19世紀までフランス国王の居城でした。
ナポレオンの歴史を語る上で、この城は欠かせない存在です。皇帝の輝かしい台頭を目撃し、また帝国の崩壊の舞台でもありました。ナポレオン1世はこの邸宅を修復した後、第二の居城としましたが、その豪華さは今も健在です。
1,500もの洗練されたインテリアの部屋の中には、金箔の装飾、深紅の錦織、深緑の織物で飾られたナポレオン1世の豪華な寝室や、特に1814年4月4日と6日のナポレオンの権力放棄の署名が行われた部屋を見学することができます。また、第一帝政の博物館もあり、戴冠式から退位までのナポレオンの偉大な叙事詩を称える10の部屋が展示されています。